各裁判の紹介−平頂山事件訴訟

平頂山事件75周年「撫順から未来を語る旅」<報告>
人間を通して学ぶ

日中友好協会墨田支部 澤井留里

9月15日(Aコース)、13日(Bコース)から9月18日まで、頭書のイベントが行われた。参加者は大きく分けて三つのグループだった。平頂山事件弁護団をはじめとするイベント実行委員会のグループ、撫順の奇蹟を受け継ぐ会のグループ、そして日中友好協会のグループ。イベント実行委員会のグループの一員としてその模様を報告したい。

15日夕方撫順のホテルに着くと、ロビーに事件の幸存者、楊宝山さんの姿が。ドキュメンタリー映画「隠された爪痕」や、お写真で拝見していたので、思わず近づいてご挨拶。暖かい手だった。ご高齢にもかかわらず、この日朝から日本からやってくる人々を出迎えつづけていらしたという。弁護団の諸氏に会ったときの彼の目の輝きは忘れられない。

式典の写真翌16日は、事件の75周年の当日。記念碑のまえで盛大な式典が行われた。我々撫順イベントの一行70名あまりの他にもJR東労組など日本からの参加者は200名。式典は撫順市長の司会からすべて日本語の通訳つき。瀋陽の日本総領事が参加したことは特筆に値する出来事だった。式典後は、記念碑の石段を下りたところに新しく建て直された「遺骨館」を見学。初めて実際にこの目で見て、非常にショックを受けた。いろいろな「なぜ?」が頭の中を渦巻いた。昨日暖かい手で握手をしてくれたあの楊さんは、この現場から生き延びたのか!私は少しも分かっていなかった。苦しかったが、<知った以上は人々に知らせる務めがある>そういう思いが心に湧きだしてならなかった。

午後は国際シンポジウム。中国側と日本側が交互に報告し、質疑討論をする形ですすめられた。今回参加して、<なぜ裁判が確定した後もこの事件について取り組み続けるのか>ということが、実は私にはよく分かっていなかった、ということがはっきりした。これは過去のことではなく、まさしく今の問題であり、直接これからの世界につながる重要な課題だったのだ。敗戦まで幼少期を撫順で十年すごしたHさんが、中国側の発表に出てきた日本人についてその場で証言するというスリリングな場面にも出会った。今後の証言集めなどの研究に直結する話が出るなど、非常に充実した内容だった。

傳波先生のご案内によるフィールドワークの写真三日目は今回の旅で私が一番期待していたフィールドワーク。撫順の市街は小さく、バスですぐに全部がまわれる。Hさんの通った小学校(現在は中学校)、住んでいた家の位置などをHさんが確かめながら歩くのに立ち会った。また、平頂山事件の謀議がされた場所、楊さんが逃げた道筋、事件後焼き払われた平頂山の集落があった場所、などを撫順社会科学院の傳波先生の丁寧な解説付きでまわり、先生の交渉でその場で施設の中までご案内いただけるようになるなど、ものすごく贅沢なフィールドワークとなった。

最後は戦犯管理所。建物そのものは人もなくひっそりとして、当時の様子を伝えるのは展示された写真のみだが、ここで行われたことには「人道的」というような言葉だけでは説明し尽くせない何かもっと大切なものがあるのではないか。勉強はこれからだ。

幸存者の楊さん
と息子さん、大江弁護士

最後の夜は、楊宝山さんとやはり幸存者の女性の楊さん、お二人も交えての交流会。女性の楊さんの証言を目の前でお聞きすることが出来た。私が毎日職場の夜間中学で出会っているような素朴な中国のおばあさん、という風の楊さん。「私は学校も出ていないし、話もうまくできない」と言いながら話しはじめると、もう75年も前のことなのに、苦しそうに嗚咽しながらお話しされる。この一人の人の身の上に刻印された出来事を聞く事実の大きさに圧倒される。「お二人の楊さん、よくぞここまで生きてきて下さいました。そして私たちにお話しして下さり、本当にありがとうございます。」胸がいっぱいになった。非常に充実した旅だった。旅の一行からも、その一コマ一コマで沢山の事を学ぶ事ができた。「人間を通して学ぶ」すばらしい経験として忘れられないものとなった。

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